大英帝国が世界各国に植民地を作ったのは…
私の中で食事がいちばん心ときめく時間なのですが、みなさんはどうでしょうか。
素敵な食事をするにはそれ相応の値段がします。
別に高けりゃ美味い訳ではありませんけど高いのにも安いのにも訳がありますからね。
自分はなるべく食べる物は拘りたいタイプですが、時にこういう人がいます。
「生きるために食べてるんだから、栄養さえ取れればなんでもいいよね」タイプの人間。
私が理解できない人種の一つです(笑)
食べる基準が違うんですよね。私は食べたいから食べますが、彼らは食べなければいけないから食べるんです。
欲がないというか、野生的というか笑
ビタミン剤で生きていけるならそれでいいとか本当に心配になる(笑)
あと、たまにいるグミばっかり食べてる人とかはまともな食事を取ったことがないのかなって思います。
勿論ながら、中華の巨匠である陳建一さんが言ったように、全員が美味しいと感じる食べ物はこの世には存在しません。
肉が嫌いな人もいればベジタリアンだっているし、私はチョコが食べれないし。
そう思うと、食べることが嫌いな人がいてもおかしくはないかな。
結局のところ、美味はそれぞれの舌が判断するものですからね。
タイトルになっている言葉は「まともな食事をしなかったからに違いない」と続きます。
ジョークですが、かつては陽の沈まない国とまで呼ばれたイギリスが何故食文化が発達し切らなかったのか不思議ですよね。
他にも面白いのがあって
この世の天国
「警官はイギリス人、技師はドイツ人、銀行家はスイス人、恋人はイタリア人、コックはフランス人」
この世の地獄
「警官はドイツ人、技師はフランス人、銀行家はイタリア人、恋人はスイス人、コックはイギリス人」
地獄は言い過ぎですが(笑)
それぐらいの認識というか伝説が世界共通になってるぐらいだから相当酷い時期があったんでしょうね。
まとめ
食事は人を変えます。
食べているものを見ればどんな人かがわかると言われているほど大切です。
幼いうちは親が、高校生にもなるとある程度自分で判断して食事をとる必要がありますね。
素敵な人生をノベルフードで無駄にしないでください。
じゃあ今日はここまで。また明日。
進む。
今日は日曜日。
普段ならこのぐらいの時間にあぁ明日は学校かと全員が思ってるころ。
でも明日は違う。創立記念日?とかなんとかで休み。
大好きな野球も昨日で今年の全試合が終了し、非常にゆーっくりとした時が流れてます。
今夜も長いので作業に明け暮れる予定です。
そういえば、この前話した防災系の案の第一回目のデザインがあがりました。
かなり荒削りですが、なかなか良いものができつつあります。
手直ししつつ、次のステップに進んでいこうかなと。
次からいよいよ準備段階を突破して動き出すな〜って感じです。
外にオファーしていって足りてないことをプロに指摘してもらいつつ良い物を作っていくために、プロを探します。
かなり今楽しいです。
間違いなく、うちのコースで一番でかいことやろうとしてるやろうし自信持っていきます。
今、学生の自分にお金はない。全くない。
でも学生にしかできない発想とか、チカラとか、根気はある。
そんな気待ちを理解してくれるアパレル系の起業家さんがいれば教えてほしい。。。
まあ、とにかく全力でやります。
TOEICとか面接とか色々忙しくなってきますが、全部楽しんでやりましょかね。
短いですけど
今日はここまで。また明日。
タイムイズマネーなんておこがましい
休日の使い方は人それぞれですよね。
アクティブにキャンプや釣りもいいし、ショッピングなんかも素敵な時間の過ごし方だと思う。
私は美味しいものを食べに行って、本屋に行って好きな本を買うっていうのが一番の理想です。
割と現実的ですが(笑)
どこに行って何をして、何を食べるのかということで楽しさが変わるのは勿論だが、それ以上に肝心な事がある。
誰と行くか問題
1人で食べるご飯より食卓を囲んで食べるご飯の方が美味しい気がしますよね。
さらには、他人と囲むより仲のいい友達や家族と囲んだ方が絶対に楽しいです。
行きたい人と行くのが大切ですよね。
でも、断りたいけど断れない約束もありますよね。
本当は行きたくないけど嫌々行って食べたご飯は美味しいですか?それほどではないはずです。
楽しくないことに無駄な時間を割きたくないよね。
電話は時間の無駄
時間って有限なんですよ。一日たったの24時間しかないのに私用でも業務連絡でも時間を縛るツールを使うのはもう古いと思う。
長電話なんか言語道断。
堀江貴文の著書である「好きなことだけで生きていく」でも言っていました。
チャットで充分補えるし、寧ろ記録も残るから便利かと。
近年手が塞がる問題は解決されつつあるけどまだまだ時間を縛ってる。
なぜここまでしつこく時間にこだわるのかというと、時間は戻ってこないからだ。
人は時が戻らないからこそ幸せなのかもしれない。
時間はお金で買えないというがその逆は可能で、あなた方がバイトや仕事で得ているように、お金は時間で買えるんですよね。
その時点でタイムイズマネーの理論は間違えていると考えます。
お金<時間ですから大切にするのも当然ですよね。お金をドブに捨てる人はいませんし。
だから私は、遅刻をするということが一番嫌いです。
もちろん自分の時間もですが、他者の時間を削ってしまっていることが申し訳ないからです。
遅刻しがちな人は本当に気をつけた方がいいですよ。大変なことになりますから。
じゃあ今日はここまで。また明日。
修造イズム
皆さんは日々の生活で緊張することがありますか?
そんな時にどう対処していますか?
今日は皆さんに元プロテニスプレイヤーである松岡修造さんのお話をしたいと思います。
彼は言っていました。
緊張はいいことだ!
成功したい!勝ちたい!と思う気持ちが緊張を引き起こしている!と。
その緊張といかに上手に向き合うかが大事だそうです。
その方法をいくつかお伝えします。
できると思い込ませる!
できる!できる!できる!と自分に声をかけて見てください。
自分を信じ続けられる人が必ず成功するとは言いません。しかし、成功している人は必ず自分を信じています!
これは脳科学的にも医学的にも正しいことです。
自分を褒める言葉を
一つ目と非常に似ていて、自己暗示をかけるということ。
タイガーウッズも実践しているそうで、失敗を想定したネガティブな思考からポジティブな思考に切り替えると呼吸が整っていいパフォーマンスを披露できるそうです。
他にも好きなものを思い浮かべるなどの方法で呼吸を整えても良い。
弱い性格を変える必要はない
ここが一番大事なところ
弱い自分を嫌いになってはいけない。
無理矢理嫌なことに取り組まずにした方がうまく回る。
弱い気持ちを認め、いろいろ試してハマるものを探す。その方が絶対いい。
弱さがあるから強くなれるというのはよくいう話。
あと、違う話にはなってしまうけど松岡修造さん=根性、熱血というイメージがありますが意外にも根性論が大嫌いだそうです。
勘違いしている昭和人に聞いて欲しいんですが、根性論以前に必ず方法論が必要ですからね。
水飲むなみたいな古いだけの体制と修造イズムを混同させてはいけない。
修造イズムは完全に現代にマッチすると思う。
面白いから本も読んで見てください
めっちゃやる気みなぎってきますから!
じゃあ今日はここまで。また明日。
よく聞けハロウィン勢
ハロウィン
秋の収穫祝いで悪霊を追い出す宗教的な意味合いのある古代ケルト人の歴史的な行事である。
アメリカのハロウィンを本場というのであれば、日本でいう夏祭りみたいなものかな?
ついこの前まで市場的にも全然日本には無縁な感じやったのに、最近すごいらしい。
1人がやると乗っかっていくからどんどん規模も拡大していってるよな。
ニュースで見た渋谷も私の教室さえも何か勘違いをしてるみたいに。
ハロウィンって子供が楽しむ行事っていうイメージがあるのに、いい大人が夜に集まって暴れて、人に迷惑かけてるのに平然としててビックリ。
ハロウィンやから暴れてるというよりはハロウィンを口実に暴れてるって感じでかわいそう。
日本の闇感満載よな。ノリとかそんなものの限度を超えまくってるし。
日本が西洋の文化取り入れるとして、まず全世代に受け入れてもらうには最初が肝心やのにハロウィンの印象めっちゃ悪い。
正直一番意味わからんし、不快。
ハロウィン はしゃぐんやったら体育の日は全員スポーツせえや。
原因は何にあるのか考えたけど一つしか思い浮かばんかった。
圧倒的にルールの明確化が足りてない。
例えば路上での飲酒とかその日だけでも規制すればいいと思う。
後、もっとすぐに捕まえても警察は文句言われへんと思う。
明らかに甘いからなめられてあんな渋谷みたいなことが起こる。
もちろん、最近の若者はとか言いたくなる気持ちもわかる。
でも逆に、縛ればいいのに半端で放置するやつも悪いと思う。
評論家は、「元は収穫祭だから〜」とか「古代ケルト人が〜」だけじゃなくてもっとニューヨークとかハリウッドの例を引き合いに出して話すべき。
時代で括ればそっちの方が正しい。
ケルト人と括られても響かん。
何より私は騒げる理由が欲しい日本人の心の叫びが聞こえてきたよう思い、なんだか悲しくなった。
そんなにもつまらない国か。と。
じゃあ今日はここまで。また明日。
Change before you have to.
日々、社会は変化している。それが良いとか悪いとか関係なしに。
仏教に諸行無常という言葉があるように移り変わらずに留まり続けるものなどない。
仏教の世界って結構しっかりしてるから調べてて面白いですよ。
うちのクラスは朝のプレゼンってのがあってそこで大乗仏教のことを話す機会があり、色々調べたんです。とんでもなく深いからなかなか話すのは難しかったですけど。
仏教用語ってかなり日常に紛れ込んでます。
例えば、金輪際
金輪際という言葉は日常で「二度と」みたいな感じで使いますよね?
これも仏教用語です。
遠い昔のインドの考えでは海の底に世界を支える土台として金輪というものがあると考えられていました。
そのさらに深い場所が金輪際と呼ばれている。
世界の果て的な場所だ。
ここから転じて物事の極みという意味で使われている。
なんかこう考えると相当大きな話になってるような気はしますが、面白いですよね。
仏教的に考えると成住壊空の考え方からしたら、あくまで私たちは時の流れの中に身を投じているだけの存在で、流れて移り変わる時代の断片の当事者やん?
その中で自分が生まれてきたことに何の意味があるのかと考えさせられる。
同じが好きで安定が好きな超日本的思考はもう捨てるべき。
絶対に変わらなきゃいけないタイミングが訪れるなら、自分から時代に適応してほしいなと思う。
人に無理矢理、やり方を変えられても楽しくないしな。
まず、日本は戦後を引きずってるような社会形態から変えてかな。
だって紀元前から仏教の形とか考え方が形成され始めてその頃から「変わらないものなんてない」と言われているのにさ
まだ日本人はその意図を汲み取れていないなんておかしいなと思わん?
仏教徒の方が多いのに。
島国特有かわからんけどな。
せめて理解ある若者から変わっていこや。
じゃあ今日はここまで。また明日。
誇りとプライド
初めて、お題に沿って書いてみようかな。
最近初めて聞いた言葉は「矜持」。
「きょうじ」と読む。
誇りやプライドのことを指す言葉。
「矜持を持つ」と書くとなんだか「頭痛が痛い」みたいで気持ち悪いですが、間違えた使い方ではない。
と、ここで質問なんですが
皆さんはプライドと誇りは同じ意味だと思いますか?
なんとなく一括りにされがちな言葉ですが、私の中では完全に差別化できています。
「誇り」はあくまで後からついてくるもので、「プライド」は元より皆の心にあるものと解釈しています。
「誇り」はポジティブイメージが大きいです。なぜなら自分の今まで人生での成功の経験、体験が元となってできているからです。
ですから、そのバックグラウンドが無いものは誇りと呼ばずにプライドになると考えています。
プライドは自尊心、自己愛によって形成される。
根拠が無いのですぐに傷が付きます。
なのでまとめると…
確固たるプライド=誇り
根拠のない誇り=プライド となるわけです。
矜持の意味に戻りましょうか。
矜は矛に今と書く。昔、武士たちは矛を手にすることを誇りに思っていたので誇りという意味になったといわれています。
なので矜持は「矜(ほこり)を持つ」という事になります。
となると、矜持はプラスの意味が大きいと思われる。
まとめ
プライドと誇りの違いについて話してきたが、どうもプライドにマイナスイメージが付きすぎただろうか。
でも逆転の発想があれば、プライドがあるということは何か一つでいいからきっかけさえあればそれが自分の誇りになっていいんじゃないかなと思います。
プライド=人としての伸び代
ということかな。
じゃあ今日はここまで。また明日。