革命児といえばこの男
私の永遠の憧れ。
人に好かれ、時代に好かれ、幕末を最も勢いよく駆け抜けた坂本龍馬
彼の思想は非常に大きい。故に、倒幕派であろうと公武合体派であろうと上手く接近でき、交友関係を広げることができました。
龍馬の懐の深さ、野望の大きさが伺えます。
彼のような男になってほしいと父は彼の一文字を取って私に名をつけました。
時代の先駆けであって敵も多かったので、暗殺されてしまいました。
夢半ばで破れてしまうということもあり尚更カッコよく見えるのは気のせいでしょうか。
というか、どの時代であっても新しい事をやろうとするとアンチは湧いてくるんですね。
今なら殺されるまではいきませんが(笑)
日本初の株式会社と言われている亀山社中
あの時代に輸出入で金を稼ごうという発想には感服します。
薩摩やグラーバーなどの支援があったとはいえあそこまで多額の貿易をこなすのは至難の技だと思います。
龍馬は商才だけではなく、ここぞの判断力と度胸、先見の明が素晴らしい。
成功者に必要なものは今も昔も変わらないんだと彼の生き様を垣間見ると感じる。
有名なこの写真にも写っている長靴
これが新しいもの好きを示しています。
その他にも、短刀、拳銃を好んだこともあり、本当に来るもの拒まずという精神が良い意味で日本人らしくなくて尊敬できます。
そんな彼は幼少期から風雲児であったわけではなく、幼少期の坂本龍馬は、「泣き虫」で「夜尿症」10才になっても1人で袴もはけないほど「不器用」
私塾に行っても成績が悪い「落ちこぼれ」だったと言われている。
しかし、姉の乙女と義母のスパルタ教育によって彼は変わっていったと言われています。
昔から坂本家の女は強い(戦国時代には山賊6人を返り討ちにした母も)
あの坂本龍馬ですら、弱い自分に打ち勝って来た。
鼻からすごい人なんかいない。
あなたらしく、変われるんだ。
と彼の人生が語りかけてくれているように感じます。
では、今日はここまで。また明日。
無くなる仕事
時代はsociety 5.0 に展開中
そろそろこの言葉も浸透されてきただろう
一応説明しておくと、
サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会
のことである
まあすなわち、億劫なことからは解放されて、自分のことに時間がかけられる時代である。
超情報社会がすぐそこまで近づいている。
AIの台頭で人が行う業務は圧倒的に減る。もしくは効率化される。
そんな中で必ず消えるであろう仕事、むしろ消えてもらわなければならない仕事はある。
かといって職を失う人が増えるわけではない。
むしろ雇用は拡大されるだろう。その上、楽でそこそこ高い収入が得られるような職につく人も増えると私は予想する。
しかしそこにやりがいがあるのかと言われればわからない。
そんな中で教員はどうなるべきなのか。
別に普通に教えるだけならAIでもできそうなものだがそれは違う。
あのfacebookを生んだ天才マークザッカーバーグが高校の勉強に飽き飽きして辞めたいと父に言った時に諭されたように、小中高はただ単に勉強しに行くだけの場所ではない。
社会に出るまでの大切なステップだと思うし、最も身近な社会の縮図でもある。
かといって日本みたいに全員が同じペースで同じことをやる必要性もないかとは思うが。
良い教員もなかにはいる。
別に授業が上手とかではなく、一人一人と上手にコミュニケーションが取れていて、意思の疎通が図れている人が求められている。
机に向かう時間が全てだと思いがちな人は現代の小・中・高校教員に必要なマインドが備わっていないと思う。
現代教育の根底にあるのはアクティブラーニング
生徒が中心になって各授業を展開していく必要がある。
若い教員や改革志向の高い中堅教員はこれらを理解しているものの、浸透していないのは管理職の理解が遅いからだろうか。
うちの学校は比較的進んでいる方に思うが、それでもまだまだ。
ここからですかね。
じゃあ、今日はここまで。また明日。
彼女がいない理由を考察しよう回
こんばんは。
お久しぶりでございます。お正月はしっかりと休んでしまいましたが、また今日から始めていこうかと思います。
クリスマスや年末年始の行事ぜめを通り抜けてきて、やはり感じるのはカップルがなんか楽しそうってこと。
かれこれ、2年?ぐらい彼女もいないと、別にいなくても支障がないし、いたらいたで面倒だと思いがちなんですが、クリスマスなんかは応えますね(笑)
そこで今日は、なぜ彼女がいないのかを割と真面目に考察しようかなと思いますよ。
あ、あくまで内面ですからね。顔が残念とか言わないでくださいね()
面倒くさがり
LINEを続けられないんですよ。返すのがめんどくさくなって、トークを消して終わり。
大体、指令されるのが面倒だから気の強い人とも合わない。
JKがなんか無理
テンションの上限が解放されてる人と声の大きい人が苦手。
たまにテンション高いだけならまだしも常時高いやつのエネルギーはどこからきてるのかもはや不可解。
やりたい事が膨大
自分の時間というか、夢のために費やせる時間は多い方がいいと思うタイプ。
さっきのLINEのくだりもそうだけど、結局彼女とは別れても自分は決別できないからと思うと一気に冷めて自分を優先する。
非常に口が悪い
最近というか前から言いたいことは言うタイプだから、それで誤解を生みやすくはある。
イラってきたときに7秒我慢する。を実践中だけど、顔にも態度にも出るから無駄。
なんでも「一人で」できる
これは本当に本当で
一人で生きていける自信はある。
料理も結構できるし、洗濯・掃除も嫌いじゃないし。
特に、料理は心から好きだから、作ってもらうのではなくて作ってあげたいしってなってくると、相手もやりづらいだろうなと思う。
これは完全に家系のせい。
うちの父も毎週2日は晩飯作ってるし。
ここまできたら、結婚しなくても生きていけるってなりそうで怖い。
まとめ
これ書いてみた感じ、死ぬほどドライな人の方が合うんやろな。干渉されたくない訳ではないけど程々の距離感がいいね。
まだまだ問題点ってあるんやけど、もう自分で書くのもしんどいわ。
他にもなんかありましたらあわじの友人は教えてくださいね。
自分で気付かないことって意外と多いですから。
まぁ気付いたからといってスタンスを変えられる余裕もないのですが。
じゃあ今日はここまで。また明日。
目標は高く!【新年一発目】
みなさん、明けましておめでとうございます🎍
2018もあっという間に去っていき、新しい年が始まりました。
私にとって、今年は大学進学という節目となる年です。
目標をもってさらに飛躍できるようにと、皆様に公言しておこうと考えています。
まあ、別に言わなくてもいいんですが、
私がいつも思っているのは「素面じゃ語れぬ夢は惨めだ」ということ。
たとえ、ビッグマウスと言われてもどんどん宣言していかないと。
今年の抱負は3つあって
1.膨大な信頼を築く
2.高校生対象のイベント1つと全員が対象のイベント1つを開く
3.好きなこと以外はしない
一番達成したいものは一番上のやつやな。
とにかく、タダ同然でなんでもやりたい。
人のために働ける歳にしたいからなんでもいってください。
お金なんか要りません。経験と人脈だけください。何処へでもいきます。
ほんで、イベントやりたい。
せっかく古民家もあるし、仲間もおるから高校生に対してワークショップの機会をあげたい。
絶対に半端で終わらんやつな。
計画を立てて実行まで行ける案を考えて提案できそうな感じの。
そして最後。
好きなことをする為にならなんでもするけど、興味もないことには手を出さないでおく。それが大切かと思う。
とにかく貴重な時間を、ひたすら自分の好きなことのために費やせる1年にしたい。
この1年が人生最良の1年になるように、神にも祈っただろうが、結局動くのは自分。
どこまでやれるのか全くわからないけど、「わからない方が楽しい」と多くの偉人は言うから探り探りで楽しみながらやっていこう。
そしてまた、目標の達成をこのブログで報告できるようにしなきゃな。
ということで…
最後になりましたが、2019年も「あわじの今日このごろ」をよろしくお願いします!
では、また後日。
年の瀬ですねぇ
さあ今年もあとわずか、最後の日曜日です。
もはや休みすぎて曜日感覚もないですかね。
今夜はゆるっと今年の出来事を振り返ります。
まず私の変化的には今年は例年に比べて大人の知り合いが増えました。
大人って思ってるよりすごいんですよね笑
学生が知っている大人というと自分の親と教師になりがちですけど、それだけじゃ勿体ないと思い、去年よりも色々なところに意識的に行くようにしました。
その分他の人より学びが多かったと思う。
成長したなと思うところはいくつかあって、その1つは、あまり興味のなかった事も知識として表面的に知っておこうと思うようになった事。
誰とでも会話を弾ませる為にもなんでも表面的に知っておけばいいと大学生に言われて以来、それを意識してる。
代表的なものでいうとアイドルかな。
全く興味もないけど、ある程度のことは覚えるようにしてる。
最近好きな人が多いから、名前を知ってるだけでも話しが続くかなって安直な考えで。
もう1つが、一度も本気で切れることがなかった事。
毎年一度は絶対に本気で怒ることがあったように思うけど今年はそこまでは無かったな。
自分が怒りっぽくなくなったのか周りが大人になったのかは定かではないけど(笑)
今年に関しては反省することは少ない。
新年に大した目標も立てていないし、18の目標にした"越境"に関してもまだまだここからかなと思ってる。
ただ一つ反省するとすればもっと他人に優しくできればいいのにとは思うな。
いわゆる、Yes,and ができていなくて自分の意見が正しいと思ってしまっている状況。
仲間あっての自分だから、もっと大切にしないと。後で後悔したくないし。
間違いなく言えるのは来年、あわじは飛躍します。
今年打った布石を全部綺麗に回収できるように頑張ります。
では、また来年お会いしましょう。
オリジナリティ
テレビでみたブラジルの寿司。
それは想像を絶する一品だった。
ぶつ切りに等しいサーモン、粉末のねりわさび、想像を絶する量の醤油。
正直言って日本の寿司とはかけ離れていて、度肝を抜かれた。
でも、別に彼らはふざけているわけではない。
いたって真面目にそれを作っている。
彼らは日本を、寿司を愛している。無い物は技術と知識だけであってそれ以外は職人と何ら変わりがない。
むしろ、少し派手な寿司が出てても、日本のケバブがブラジルのケバブと違うのと同じぐらいだから。
そんなに大したことではないように思う。
地球の裏側なんてそんなもん。
でも中には、「日本の寿司とはどうのこうの」とか言い出すご意見番もいらっしゃるので、海外にあると思いがちな日本独特の食を紹介してみようかと思います。
いわば、ナポリタンみたいなもんで、無い物を作り出してる。知識をオリジナリティでカバーしているのは尊敬に値すると私は思います。
フランスのフレンチが必ず日本人の口に合うわけでなく、日本のフレンチの方が美味しいと思う方も多い。
それぞれの国にそれぞれが食べ慣れた味があって、美味しいは人それぞれだから、本場は正解かもしれないが必ずしも美味しいというのは見当違いだ。
本場の技術が尊ばれるのは当然だが、それとこれとは別の話で、風土に合ったものを提供することこそ必要なことではないでしょうか。
さあここからは実は和製の食べ物!
- ドリア
これが意外と知られていない。
横浜生まれの西洋風の食べ物。
某有名ファミリーレストランのミラノ風ドリアはどこがミラノ風なのか説明していただきたいものです。
- エビチリ
言わずと知れた中華の代名詞。と思いきや中華の巨匠 陳建民が考案したもの。
本元の料理があるそうですが、そこからアイデアを得てここにたどり着いたらしい。
- 中華の丼系
代表的なものに天津飯などがある。
オン・ザ・ライスされてるものは大体和製と考えるのが早い。
- 石焼ビビンバ
韓国の方では石焼かないんですね。
これは知らなかった。
我らが大阪発祥らしい。コリアタウンかなぁ
とまぁこんな感じで他にも色々と「え、それ日本独自なん?」となるものが多いです。
中華なんかがわかりやすいですけど、日本人にとっては焼き餃子もラーメンも天津飯も中華丼もエビチリも全て中華です。
それおなじで諸外国の方にとってはカリフォルニアロールもインディカ米のものもよく分からない炎の演出も全て寿司なのである。
文化と食は密接でそれぞれの文化に合わせて応用されていくのが一番です。
そして、誰もそれに文句を言う権利など持っていません。
他の文化に寛容でありたいですね。
じゃあ今日はここまで。また明日。
あわじ りょうへい (@JIYU_RyoAwa) on Twitter
3年間の詰まった論文を公開しよう。
はじめに
この論文は、私が高校で書いたものをそのまま転載しています。わざわざ書いたのに、卒業生がもらえる一冊の論文集だけで終わりで日の目を見ないとか可哀想だなと思ったので無理やりここに載せました(笑)
本当はもっとちゃんとしたはじめにと目次が付いているのですが、それはちょっと割愛させてもらってます。
自分で言うのもなんですが、普通に大人に読んでもらっても問題なく面白いと思いますので、是非飛ばさずに最後まで読んでくださいね。
ちなみに最後に本来なら無い部分も書き足していますのでよかったらどうぞ。
序論 「自己分析と高校生活の振り返り」
第1章
今までの高校生活で経験したことと人間的に成長したこと
私は高等学校に入学して様々な経験をした。1年生の頃から現代社会で今のことを、世界史で少し昔のことを同時に学ぶことでそれらを比較し、今自分の思うことをどんどんアウトプットしていき、すぐに知識として取り込むことを繰り返してきた。さらに、それを高等学校の特徴ともいえるICT教育によって効率よく自分のものにできたというのは、私がどのように社会に貢献していくべきなのかということの道標となっている。
その経験は決して学校内のみで留まるものではない。リーダー養成講座での取り組みや英語特化コースでの取り組みなど校外での活動が他の生徒に比べて多く、リーダー養成講座では広島県の大崎上島に行き地元の高校生たちと島の活性化について話し合う中で地方の魅力を見出だした。コースの取り組みでは兵庫県佐用町でのlearning splash に参加、ワークショップとして様々な分野で活躍されている大人達と真剣になってプレゼンテーションの内容を練った。こういった自分が今まで知らなかったり体験したことがないようなジャンルのイベントに取り組む中で自分の持ち合わせていない知識や経験を持った人たちと出会い話したりすることで、私の中に新たな世界ができて、それは私を内面的にとても大きく成長させた。
第2章 私の性格(長所)について
入学後からの自分を振り返ってみると、私は人に伝えることが年々好きで得意になってきていると思う。元々私は話すことはとても好きだったが、人前に出ると言いたいことの半分も言えないというような性格だった。しかし、生徒同士でディスカッションしたり個々の意見をまとめて発表したりする機会が増えて場数をこなしているうちに伝えることの魅力を知った。意見というのは人それぞれにあって一見同じように見えてもニュアンスの違いや細かな流れの違いがある。自分の意見は自分しか持ち合わせていないのだ。だからこそ私は私自身の口から言葉を発し、それを他の人に聞いてもらい評価を得たいと思うようになった。それ故、私は将来的に私が教わったように次の世代に今のことも昔のことも伝える事ができるような人になることができるのではないかと考えている。
第3章 私の興味・関心
私はいままで地理や歴史、公民などの今まで学校で習ってきた社会科という分野に興味・関心を持ち続けている。社会科は他の教科とは少し違い、情報が留まることなく変わり続けるというところにとても魅力を感じる。現代の社会では日々新たな情報が交錯し、その一つ一つを自分自身で見極める必要がある。すなわち、社会科を学ぶということは今を上手に生きるということに繋がっていくと思う。その上、歴史の分野においては古くを学ぶことがいかに大切かを知ることができた。チェルノブイリ原発事故の被害者で歌手のナターシャ・グジーさんという方の言葉で「人間は忘れることによって同じ過ちを繰り返す。」という言葉がある。人間誰しも記憶は日に日に色褪せていくが、過去にあった大戦や災害、悲劇的な事件は決して風化させてはならないと私は思う。過去があるから今があり、一人一人の判断が今を作っていると思うと俄然興味が湧く。 私はこの社会にどのようにして貢献し、どう未来の社会に影響を与えるのかと。
つまり、勝手に動いていると思いがちな日本という国も、今、私たちが使っている便利な知恵・知識も何もかもが先人たちが作り上げた社会の一部であり、私たちも次の社会を形成する上で大切な存在であるということを社会を学ぶことで感じることができると考えるのである。
本論
「自分が抱いた疑問とその調査によって明らかになったこと」
第1章 調査の対象とそれを選んだ動機
私は日頃から先人たちが作ってきた制度の中で少し疑問に思うポイントがある。それは企業の中で権力に優劣をつける役職についてだ。役職は本当に必要なのかと私は考える。
それをもっと詳しく言えば、なぜ企業の中で役職に違いをつける必要があるのか、対等な立場の方が発言しやすいし社内で良好な関係が築けるのではないかと疑問を抱いているということだ。組織の仕事は大きく分けると、管理と執行に分けられる。もっと分かりやすく言えば、組織の中には、指示する人と指示される人がいるということだ。指示されたことをこなすだけという状況になってしまいがちな下の役職の人たちは頼まれた自分の好きでは無い仕事だけをやっていると効率化のみを求める仕事にやりがいを見出だすことができなくなってしまうのでは無いか。社内にリーダー的存在や責任者がいたとするとその人と他の人で社内の階級に差をつけて上の人間を特別な待遇をしてしまいがちなのはなぜなのかということである。そこで、企業内での職位は本当に必要か調査してみることにした。
第2章 調査の方法
私が採った調査方法はインターネット上でのアンケートである。survey monkeyを使い、ホラクラシー経営という従来の中央集権型・階層型のヒエラルキー組織に相対する新しい組織形態を示し、階級や上司・部下などのヒエラルキーがいっさい存在しない、真にフラットな組織管理体制を表す制度を採用している企業の取り組みについて賛否を幅広い年代の方々に問うことで世間一般の役職に対する意識を計ることができるのではないかと考えた。
そのために用意した実際のホラクラシー経営の企業の取り組みは五つで、1.みんなの給料はみんなで決める、2.財務情報は全てオープン、3.働く時間、休み、場所は全て自分で決める、4.社内に役職無し、5.社内に責任者無し(自然発生に任せる)である。2日間survey monkeyをツイッターで引用して56名に賛成もしくは反対で投票してもらい統計を取った。
第3章 実際に調査してわかったこと
調査する前の私の予想としては、分野において賛成、反対が半々になるのではないかというものだった。なぜかと言うとこのアンケートは投票する人の今置かれている状況によって大きく変わると思うからだ。現在の日本ではホラクラシー経営を取り入れている会社というのは圧倒的に少なく、ホラクラシーという言葉の認知度もとても低い。そんな中で現在の自分が置かれている環境に納得がいっていない人、今の環境が気に入っている人で票が割れるのではないかと思う。一つだけその両者に共通点があるとすれば、2.「財政情報は全てオープン」という点である。クリーンな会社に勤めたいという思いは社会通念上当たり前のことだと私は思うので、この項目については8割ほどの人が賛成に入れるのではないかと予想する。残りの質問でいうと「役職なし」と「責任者なし」は賛成と反対の数が同じぐらいになると思う。なぜなら、役職が上がるにつれて責任もどんどん大きくなっていくというのは普通のことで、高い役職イコール責任者という認識は大きいのではないかと考えるからである。そうなってきたときに社内に役職を用いない方に賛成した場合は責任関係もフラットでなくてはならず、責任者は無く、自然発生に任せるという方に入れるのが妥当であると考える。
第4章 調査結果の考察と私の主張
実際に調査してみたら以下の結果が得られた1.「みんなの給料はみんなで決める」と3.「働く時間、場所、休みは自分で決める」は見立て通りで賛成と反対にあまり差がなく半々に近い結果となった。そのほかには2.「財務情報は全てオープン」に関しても見立て通り賛成側が65%と過半数の優勢となったが反対派の意見で多かったものが一つあった。それは全ての情報がオープンだと知る必要のない人まで知ってしまい社内の機密情報の漏洩につながってしまうのではないかといったことである。逆に私の予想と反対になってしまったのは、4.「役職無し」と5.「責任者無し」 の票の差についてだ。「役職無し」の質問のみの結果であれば賛成派は過半数を超えており予想どおりとなったのだが、「責任者無し」の質問は賛成派が大きく過半数を割り正反対の結果となり、役職無し賛成派、責任者無し反対派の票数が同じになっていた。
なぜ逆の結果になったのかそれを分析すると、役職を不必要であると考え、取り除きたいという気持ちはある人が多いががそれを取り除いたからと言って今度は役職のある人が担っていた責任を自分で担えと言われても困るということではないのだろうか。たしかに一般的に考えると負わなくていい責任を自分から負いたいなどという変わった人はいないと言ってもいい。ホラクラシーの根幹であげられる職位無しという部分はもちろん大きなメリットであるということは間違いなく、従来のヒエラルキーが存在する形よりも長い目で見れば上手く回るようになるのではないかとおもうがこのアンケートの結果にも出たように職位、役職を取り払ってしまったことによって生じる責任問題をどう乗り越えるかが鍵となるのではないかと思う。
今回の調査結果から、ホラクラシー制度の中でも役職が無いという点には賛成しているものの絶対的な責任者がおらず、自然発生に任せるというのは反対だという人が多く、票数も役職なしに賛成と責任者なしに反対がちょうど一致したということがわかった。それ故、責任をわかりやすく示し、社内をより効率的に統率するために多くの企業は一部の職員に対して職位をつけているといえるのではないか。
現在のヒエラルキーのある社会形態のままでは、企業は従業員一人一人の要望以上に企業としてのまとまりや団結力を求めつつあるとはいえ現代社会においてこの形は遅れていると言える。そして、この調査結果でわかった現代の雇用される側の人の本当のニーズは自分のやりたい仕事のみを任せてくれる環境であると言えるのでは無いか。それは責任の重い仕事をするよりかは、ノープレッシャーで気兼ねなく自分のしたい仕事をする方が良いと考える傾向にあるということだ。
私が思うに一昔前の考え方では働き方という面は重要視されておらず、経済的な面で企業として成功を収めることが一番大切なことであり、現代では自分のライフスタイルにあった働き方も大切で雇用する側は雇用される側を最大限に尊重しなくてはならないと言えるのではなかろうか。
第5章 振り返り
この調査に取り組んでみて、自分の予想通りとなったポイント、そうでなかったポイントの両方があり、それらを自分の考えていることと比較してさらに深く考えることができたというのはうまくいった部分ではないかと思う。そして現在最も多いヒエラルキーのある企業の中でも統率する人が部下のことをしっかりと理解し、仕事を任せることができるのであれば職位があっても問題ないのでは無いかと思うものの、現状そういったリーダー的人材は圧倒的に不足しており、解決には人材育成が必要であると言える。
そこで私は今後の進路として、次世代のリーダー的存在として成長することによって社会に貢献していきたいと思う。
生き方という面ではこれからの社会でワークライフバランスの問題からも、多様性が見られてくると言えるのではなかろうか。
結論
「人生の支えとなる言葉と私の将来の夢」
第1章 私の人生の支えとなる言葉
ところで、私は今までに野球やソフトボールで練習を積み重ねていてもその成果を本番で出すことができないという経験を何度もした。そういった状況になった理由はこのプレーが本番だったらと想定して考えて練習することができていなかったり本番のための練習ではなく練習の練習になっていたりしたことだと私は考えている。
そういった経験から見えてきた新たな視点は、常にどう動けばいいのかを考えることや柔軟で偏ることのない考え方を持つことは重要だということである。
このように考える私にとってイチロー選手の「考える労力を惜しむと前に進むことをやめることになる」という箴言はとても魅力的である。
その意味は人は自分自身が積極的にアイデアを出したりアクションを起こしたりしない限り成長することはないということであり、逆に言えば考える労力さえ惜しまなければいくつになっても人は成長し続けることができるということである。私にとって考えるということは身近な存在であるが身近でありすぎるが故に諦めたり後回しにすることが多い。そんな私の甘い考え方や弱い部分に気づかせてくれたからである。
この箴言の発言者のイチロー選手はプロ通算安打記録世界一でギネス記録を保持していたりMLBのシーズン最多記録を持っていたりする名実共に世界トップクラスの選手でありプロ野球界の至宝、そして私たち日本人の誇りである。現在は43歳でシアトル・マリナーズの一員である。今期は現役選手としてではなく、サポートする側に回っているが私は彼はこんなところで終わってしまうような人間ではないと考えている。なぜなら、彼は考える労力を惜しむような人間ではないからだ。
第2章 私の憧れの人物とその生き方
西岡選手は2005年の千葉ロッテマリーンズのリーグ優勝、日本一に貢献し2006年のWBC優勝メンバーとして有名である。しかし彼のプロ野球選手としての人生は決して華々しいものだけではない。メジャーに挑戦するも怪我に悩まされることが多く、思うようにプレーすることができなかったそうだ。帰国してからも怪我が相次ぎアキレス腱を切った時にはさすがに引退を考えたそうだ。しかし、入院していた病院の小児科を訪れ子供にサインを求められた時に自分の役割は子供達に夢を与え続けることだと改めて感じ辛いリハビリにも耐え現役に復帰し今でも阪神タイガースで現役を続けている。
私には西岡選手のような強靭な精神力も備わっていないし忍耐力もチャレンジ精神もまだまだ足りず途中で投げ出したくなることが多々ある。だから西岡選手のどんな場面でも耐えて努力することができるというところが私の憧れる点だ。人間はどうしても辛い時はその事実から逃げ出したくなるし一度失敗してしまうと次の失敗が怖くなって一歩踏み出すことができなくなってしまうものだ。だからこそ何度挫けても立ち直り、何度失敗してもトライし続けることができる不屈の精神が必要だと感じた。
諦めることなく、絶え間無く努力することができるというところが私の憧れる点である。
第3章
私の大学・学部・学科への関心と志望理由
私はこれまで社会に興味を持って、自分の知識をいかに上手に相手に伝えるのかを学び、関心を持って練習してきたが、大学では地方の活性化について学びたいと思う。アベノミクスの一角としても掲げられている地方創生は今の日本をより良いものにするための足がかりとなると私は思う。地方の力というのは素晴らしいと高校生活の間に感じることが多かったし、都会にはない古き良き日本の文化や雰囲気に心を打たれることもあったし、観光資源にも富んでいる場所もあった。しかし、その良さを上手くプロモートできていないのが今の地方の現状である。
だから、大学に進学してからは高校生活で得た経験と知識を更に深めることで自分の長所を生かし、地方の良さを発信することに専念したいと考えている。したがって、私は近畿大学の総合社会学部環境・まちづくり学科に進学したい。
私がこの学科を選んだ第1の理由は環境・まちづくり専攻のカリキュラムポリシーにもあるように都市・地域の計画論や環境政策論などまちのあり方を考えることやまちづくりの基本となる知識や技術を手に入れて私の今後の目標である地方の活性化に少しでも役立ちたいなと思ったからだ。そして、第2の理由は実際にフィールドに出て地方を体感することができるというところにある。足を運んでみなければわからないような課題があるということを高校生活で色々なプロジェクトに参加することで学んだ。なので大学生になっても、社会に出てからも足を運ぶことは怠ってはいけないと思う。そんな中で総合社会学部 環境・まちづくり専攻には私の重きを置いていることとマッチするものがある。だからこそ、この学部に進学したいと考えているのだ。
第4章
志望する大学の創設者の思想信条や生き方への賛意
大学の創設者の世耕弘一先生についての『我ガ生、難行苦行ナレドモ我ガ志、近畿大学トナレリ』を読んで心に残っている言葉がある「国民に腹一杯食わせたい」という言葉だ。今の世界腹一杯食べようと思うと金がいる、金を稼ぐには頭脳がいるというところがあるが、世耕弘一先生は早くにそれに気付いて学校を立ち上げている。根本的なところに目をつけなくてはならないと思った。私は将来、初心を忘れることのない人間になりたいと思う。初心をわすれないということは将来においても学ぶことをやめず、人としての在り方を忘れないということでもあると言える。そんな世耕弘一先生の考え方に感銘を受け、尊敬していることも私が近畿大学の総合社会学部環境・まちづくり専攻を選んだ一つの理由である。
第5章 私の将来の夢
現在、社会では少子高齢化など人口の減少、地域差別、東京一極集中化などの課題が大きく取りざたされており大きな社会問題となっている。
そこで私がこの人生をかけて取り組んでいきたいことは地方創生である。地方を活性化させるということは日本を活性化させ、より良い社会、都市、街、村の形成に関わり、国民の生活の基盤を支えるということでもある。若い人は東京に集まる。その現実をどうにかしたいという思いが私にはある。
そこで私は、近畿大学の総合社会学部環境・まちづくり専攻に進学し基礎的や知識を身につけることに専念したいと考えている。フィールドワークなどにも積極的に参加し、実際に地方に足を運びたいとも思う。
そして私はその経験を生かして、大学を卒業後に地域おこし協力隊に参加したいと思う。「地域おこし協力隊」は、都市地域から過疎地域等に移住し、一定期間、地域に居住して、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこしの支援、農林水産業への従事、住民の生活支援などの「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着を図る取組である。
地方の問題点として大きくあげられるのは、よそ者を寄せ付けない体制です。外から見たからこその新たな発見があるにもかかわらず、意見を取り入れることができないのは問題だ。よってこういった活動に乗じて2、3年の期間でその地域に馴染むことが私の地方創生の第一歩だと思う。
そして、その後に自分の力で取り組めることにチャレンジしたいと思う。その形が何であるかはまだ定まってはいないが、教師としてその地域により密着した貢献をするという方法も考えられるし、無い物を生み出す手段としては起業という手もある。地方は今分岐点にある。正の方向に進み出すために必要なことは差別化である。もっとわかりやすく言えばブランド化である。どこでもあるようなただの田舎では人は集まらない。どうにかして、現代人の五感に訴える何かを作りたい。
私は「夢は一つに絞らないことが大切だ。」というロンドンブーツ1号2号の田村淳さんの講演を聞いたときから選択肢を狭めることはあってはいけないと感じるようになった。だからこそ、若いうちにしか出来ないことを優先的にと考えている。若い力が必要な地方の問題には自分が若いうちに必ず携わり、自分の得た知識やアイデアで一人でも多くの人を助けることで人々の役に立ちたいと考えている。
おわりに
どうでしたかね。みなさん。
ここまでたどり着いた方は少数派かと思います。中には飛ばしてここまできた方もいるかな?
お堅いテンプレートにのっかって書いたものは自分的にはそんなに面白く無いので割愛したかったのですが、話の流れ的に入れたので長くなってしまいましたね。
中高生の親御さんが読まれたなら是非お子さんにも見せてあげてください。
自分はこの3年間で何ができて、何が成長して、どこがダメだったのか。
この年末にこの論文を読んでそれを考えて欲しかったというのもこの論文を載せた大きな要因の一つです。
親子揃ってたまには反省会でもしてみてはいかがでしょうか。
ではまた。