あわじの今日このごろ。

現役大学生がお送りする強気のブログです。社会はこれでいいの?学生はこのままじゃだめだろ!古い考え方を変えてけ!をモットーにブログを書いてます。日曜日には自分語りをしてます。

3年間の詰まった論文を公開しよう。

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はじめに

 この論文は、私が高校で書いたものをそのまま転載しています。わざわざ書いたのに、卒業生がもらえる一冊の論文集だけで終わりで日の目を見ないとか可哀想だなと思ったので無理やりここに載せました(笑)

本当はもっとちゃんとしたはじめにと目次が付いているのですが、それはちょっと割愛させてもらってます。

 

自分で言うのもなんですが、普通に大人に読んでもらっても問題なく面白いと思いますので、是非飛ばさずに最後まで読んでくださいね。

 

ちなみに最後に本来なら無い部分も書き足していますのでよかったらどうぞ。


序論 「自己分析と高校生活の振り返り」


第1章

今までの高校生活で経験したことと人間的に成長したこと

 

   私は高等学校に入学して様々な経験をした。1年生の頃から現代社会で今のことを、世界史で少し昔のことを同時に学ぶことでそれらを比較し、今自分の思うことをどんどんアウトプットしていき、すぐに知識として取り込むことを繰り返してきた。さらに、それを高等学校の特徴ともいえるICT教育によって効率よく自分のものにできたというのは、私がどのように社会に貢献していくべきなのかということの道標となっている。

 

その経験は決して学校内のみで留まるものではない。リーダー養成講座での取り組みや英語特化コースでの取り組みなど校外での活動が他の生徒に比べて多く、リーダー養成講座では広島県大崎上島に行き地元の高校生たちと島の活性化について話し合う中で地方の魅力を見出だした。コースの取り組みでは兵庫県佐用町でのlearning splash に参加、ワークショップとして様々な分野で活躍されている大人達と真剣になってプレゼンテーションの内容を練った。こういった自分が今まで知らなかったり体験したことがないようなジャンルのイベントに取り組む中で自分の持ち合わせていない知識や経験を持った人たちと出会い話したりすることで、私の中に新たな世界ができて、それは私を内面的にとても大きく成長させた。

 


第2章 私の性格(長所)について 

  入学後からの自分を振り返ってみると、私は人に伝えることが年々好きで得意になってきていると思う。元々私は話すことはとても好きだったが、人前に出ると言いたいことの半分も言えないというような性格だった。しかし、生徒同士でディスカッションしたり個々の意見をまとめて発表したりする機会が増えて場数をこなしているうちに伝えることの魅力を知った。意見というのは人それぞれにあって一見同じように見えてもニュアンスの違いや細かな流れの違いがある。自分の意見は自分しか持ち合わせていないのだ。だからこそ私は私自身の口から言葉を発し、それを他の人に聞いてもらい評価を得たいと思うようになった。それ故、私は将来的に私が教わったように次の世代に今のことも昔のことも伝える事ができるような人になることができるのではないかと考えている。

 


第3章 私の興味・関心

 私はいままで地理や歴史、公民などの今まで学校で習ってきた社会科という分野に興味・関心を持ち続けている。社会科は他の教科とは少し違い、情報が留まることなく変わり続けるというところにとても魅力を感じる。現代の社会では日々新たな情報が交錯し、その一つ一つを自分自身で見極める必要がある。すなわち、社会科を学ぶということは今を上手に生きるということに繋がっていくと思う。その上、歴史の分野においては古くを学ぶことがいかに大切かを知ることができた。チェルノブイリ原発事故の被害者で歌手のナターシャ・グジーさんという方の言葉で「人間は忘れることによって同じ過ちを繰り返す。」という言葉がある。人間誰しも記憶は日に日に色褪せていくが、過去にあった大戦や災害、悲劇的な事件は決して風化させてはならないと私は思う。過去があるから今があり、一人一人の判断が今を作っていると思うと俄然興味が湧く。 私はこの社会にどのようにして貢献し、どう未来の社会に影響を与えるのかと。

 つまり、勝手に動いていると思いがちな日本という国も、今、私たちが使っている便利な知恵・知識も何もかもが先人たちが作り上げた社会の一部であり、私たちも次の社会を形成する上で大切な存在であるということを社会を学ぶことで感じることができると考えるのである。

 


本論  

「自分が抱いた疑問とその調査によって明らかになったこと」


第1章 調査の対象とそれを選んだ動機

 私は日頃から先人たちが作ってきた制度の中で少し疑問に思うポイントがある。それは企業の中で権力に優劣をつける役職についてだ。役職は本当に必要なのかと私は考える。

 それをもっと詳しく言えば、なぜ企業の中で役職に違いをつける必要があるのか、対等な立場の方が発言しやすいし社内で良好な関係が築けるのではないかと疑問を抱いているということだ。組織の仕事は大きく分けると、管理と執行に分けられる。もっと分かりやすく言えば、組織の中には、指示する人と指示される人がいるということだ。指示されたことをこなすだけという状況になってしまいがちな下の役職の人たちは頼まれた自分の好きでは無い仕事だけをやっていると効率化のみを求める仕事にやりがいを見出だすことができなくなってしまうのでは無いか。社内にリーダー的存在や責任者がいたとするとその人と他の人で社内の階級に差をつけて上の人間を特別な待遇をしてしまいがちなのはなぜなのかということである。そこで、企業内での職位は本当に必要か調査してみることにした。

 


第2章  調査の方法

  私が採った調査方法はインターネット上でのアンケートである。survey monkeyを使い、ホラクラシー経営という従来の中央集権型・階層型のヒエラルキー組織に相対する新しい組織形態を示し、階級や上司・部下などのヒエラルキーがいっさい存在しない、真にフラットな組織管理体制を表す制度を採用している企業の取り組みについて賛否を幅広い年代の方々に問うことで世間一般の役職に対する意識を計ることができるのではないかと考えた。

 そのために用意した実際のホラクラシー経営の企業の取り組みは五つで、1.みんなの給料はみんなで決める、2.財務情報は全てオープン、3.働く時間、休み、場所は全て自分で決める、4.社内に役職無し、5.社内に責任者無し(自然発生に任せる)である。2日間survey monkeyをツイッターで引用して56名に賛成もしくは反対で投票してもらい統計を取った。

 


第3章 実際に調査してわかったこと

 調査する前の私の予想としては、分野において賛成、反対が半々になるのではないかというものだった。なぜかと言うとこのアンケートは投票する人の今置かれている状況によって大きく変わると思うからだ。現在の日本ではホラクラシー経営を取り入れている会社というのは圧倒的に少なく、ホラクラシーという言葉の認知度もとても低い。そんな中で現在の自分が置かれている環境に納得がいっていない人、今の環境が気に入っている人で票が割れるのではないかと思う。一つだけその両者に共通点があるとすれば、2.「財政情報は全てオープン」という点である。クリーンな会社に勤めたいという思いは社会通念上当たり前のことだと私は思うので、この項目については8割ほどの人が賛成に入れるのではないかと予想する。残りの質問でいうと「役職なし」と「責任者なし」は賛成と反対の数が同じぐらいになると思う。なぜなら、役職が上がるにつれて責任もどんどん大きくなっていくというのは普通のことで、高い役職イコール責任者という認識は大きいのではないかと考えるからである。そうなってきたときに社内に役職を用いない方に賛成した場合は責任関係もフラットでなくてはならず、責任者は無く、自然発生に任せるという方に入れるのが妥当であると考える。

  

第4章 調査結果の考察と私の主張

 

実際に調査してみたら以下の結果が得られた1.「みんなの給料はみんなで決める」と3.「働く時間、場所、休みは自分で決める」は見立て通りで賛成と反対にあまり差がなく半々に近い結果となった。そのほかには2.「財務情報は全てオープン」に関しても見立て通り賛成側が65%と過半数の優勢となったが反対派の意見で多かったものが一つあった。それは全ての情報がオープンだと知る必要のない人まで知ってしまい社内の機密情報の漏洩につながってしまうのではないかといったことである。逆に私の予想と反対になってしまったのは、4.「役職無し」と5.「責任者無し」  の票の差についてだ。「役職無し」の質問のみの結果であれば賛成派は過半数を超えており予想どおりとなったのだが、「責任者無し」の質問は賛成派が大きく過半数を割り正反対の結果となり、役職無し賛成派、責任者無し反対派の票数が同じになっていた。

 なぜ逆の結果になったのかそれを分析すると、役職を不必要であると考え、取り除きたいという気持ちはある人が多いががそれを取り除いたからと言って今度は役職のある人が担っていた責任を自分で担えと言われても困るということではないのだろうか。たしかに一般的に考えると負わなくていい責任を自分から負いたいなどという変わった人はいないと言ってもいい。ホラクラシーの根幹であげられる職位無しという部分はもちろん大きなメリットであるということは間違いなく、従来のヒエラルキーが存在する形よりも長い目で見れば上手く回るようになるのではないかとおもうがこのアンケートの結果にも出たように職位、役職を取り払ってしまったことによって生じる責任問題をどう乗り越えるかが鍵となるのではないかと思う。

 今回の調査結果から、ホラクラシー制度の中でも役職が無いという点には賛成しているものの絶対的な責任者がおらず、自然発生に任せるというのは反対だという人が多く、票数も役職なしに賛成と責任者なしに反対がちょうど一致したということがわかった。それ故、責任をわかりやすく示し、社内をより効率的に統率するために多くの企業は一部の職員に対して職位をつけているといえるのではないか。

 現在のヒエラルキーのある社会形態のままでは、企業は従業員一人一人の要望以上に企業としてのまとまりや団結力を求めつつあるとはいえ現代社会においてこの形は遅れていると言える。そして、この調査結果でわかった現代の雇用される側の人の本当のニーズは自分のやりたい仕事のみを任せてくれる環境であると言えるのでは無いか。それは責任の重い仕事をするよりかは、ノープレッシャーで気兼ねなく自分のしたい仕事をする方が良いと考える傾向にあるということだ。

 私が思うに一昔前の考え方では働き方という面は重要視されておらず、経済的な面で企業として成功を収めることが一番大切なことであり、現代では自分のライフスタイルにあった働き方も大切で雇用する側は雇用される側を最大限に尊重しなくてはならないと言えるのではなかろうか。 

 


第5章 振り返り

 この調査に取り組んでみて、自分の予想通りとなったポイント、そうでなかったポイントの両方があり、それらを自分の考えていることと比較してさらに深く考えることができたというのはうまくいった部分ではないかと思う。そして現在最も多いヒエラルキーのある企業の中でも統率する人が部下のことをしっかりと理解し、仕事を任せることができるのであれば職位があっても問題ないのでは無いかと思うものの、現状そういったリーダー的人材は圧倒的に不足しており、解決には人材育成が必要であると言える。

 そこで私は今後の進路として、次世代のリーダー的存在として成長することによって社会に貢献していきたいと思う。

 生き方という面ではこれからの社会でワークライフバランスの問題からも、多様性が見られてくると言えるのではなかろうか。

 


結論

「人生の支えとなる言葉と私の将来の夢」 

 


第1章 私の人生の支えとなる言葉

ところで、私は今までに野球やソフトボールで練習を積み重ねていてもその成果を本番で出すことができないという経験を何度もした。そういった状況になった理由はこのプレーが本番だったらと想定して考えて練習することができていなかったり本番のための練習ではなく練習の練習になっていたりしたことだと私は考えている。

 そういった経験から見えてきた新たな視点は、常にどう動けばいいのかを考えることや柔軟で偏ることのない考え方を持つことは重要だということである。

 このように考える私にとってイチロー選手の「考える労力を惜しむと前に進むことをやめることになる」という箴言はとても魅力的である。

 その意味は人は自分自身が積極的にアイデアを出したりアクションを起こしたりしない限り成長することはないということであり、逆に言えば考える労力さえ惜しまなければいくつになっても人は成長し続けることができるということである。私にとって考えるということは身近な存在であるが身近でありすぎるが故に諦めたり後回しにすることが多い。そんな私の甘い考え方や弱い部分に気づかせてくれたからである。

 この箴言の発言者のイチロー選手はプロ通算安打記録世界一でギネス記録を保持していたりMLBのシーズン最多記録を持っていたりする名実共に世界トップクラスの選手でありプロ野球界の至宝、そして私たち日本人の誇りである。現在は43歳でシアトル・マリナーズの一員である。今期は現役選手としてではなく、サポートする側に回っているが私は彼はこんなところで終わってしまうような人間ではないと考えている。なぜなら、彼は考える労力を惜しむような人間ではないからだ。

  

第2章 私の憧れの人物とその生き方

 

そんな私の憧れる人は阪神タイガース西岡剛選手である。

 西岡選手は2005年の千葉ロッテマリーンズのリーグ優勝、日本一に貢献し2006年のWBC優勝メンバーとして有名である。しかし彼のプロ野球選手としての人生は決して華々しいものだけではない。メジャーに挑戦するも怪我に悩まされることが多く、思うようにプレーすることができなかったそうだ。帰国してからも怪我が相次ぎアキレス腱を切った時にはさすがに引退を考えたそうだ。しかし、入院していた病院の小児科を訪れ子供にサインを求められた時に自分の役割は子供達に夢を与え続けることだと改めて感じ辛いリハビリにも耐え現役に復帰し今でも阪神タイガースで現役を続けている。

 私には西岡選手のような強靭な精神力も備わっていないし忍耐力もチャレンジ精神もまだまだ足りず途中で投げ出したくなることが多々ある。だから西岡選手のどんな場面でも耐えて努力することができるというところが私の憧れる点だ。人間はどうしても辛い時はその事実から逃げ出したくなるし一度失敗してしまうと次の失敗が怖くなって一歩踏み出すことができなくなってしまうものだ。だからこそ何度挫けても立ち直り、何度失敗してもトライし続けることができる不屈の精神が必要だと感じた。

 諦めることなく、絶え間無く努力することができるというところが私の憧れる点である。

 


第3章

私の大学・学部・学科への関心と志望理由

 

私はこれまで社会に興味を持って、自分の知識をいかに上手に相手に伝えるのかを学び、関心を持って練習してきたが、大学では地方の活性化について学びたいと思う。アベノミクスの一角としても掲げられている地方創生は今の日本をより良いものにするための足がかりとなると私は思う。地方の力というのは素晴らしいと高校生活の間に感じることが多かったし、都会にはない古き良き日本の文化や雰囲気に心を打たれることもあったし、観光資源にも富んでいる場所もあった。しかし、その良さを上手くプロモートできていないのが今の地方の現状である。

 だから、大学に進学してからは高校生活で得た経験と知識を更に深めることで自分の長所を生かし、地方の良さを発信することに専念したいと考えている。したがって、私は近畿大学の総合社会学部環境・まちづくり学科に進学したい。

 私がこの学科を選んだ第1の理由は環境・まちづくり専攻のカリキュラムポリシーにもあるように都市・地域の計画論や環境政策論などまちのあり方を考えることやまちづくりの基本となる知識や技術を手に入れて私の今後の目標である地方の活性化に少しでも役立ちたいなと思ったからだ。そして、第2の理由は実際にフィールドに出て地方を体感することができるというところにある。足を運んでみなければわからないような課題があるということを高校生活で色々なプロジェクトに参加することで学んだ。なので大学生になっても、社会に出てからも足を運ぶことは怠ってはいけないと思う。そんな中で総合社会学部 環境・まちづくり専攻には私の重きを置いていることとマッチするものがある。だからこそ、この学部に進学したいと考えているのだ。

 


第4章

志望する大学の創設者の思想信条や生き方への賛意

  

大学の創設者の世耕弘一先生についての『我ガ生、難行苦行ナレドモ我ガ志、近畿大学トナレリ』を読んで心に残っている言葉がある「国民に腹一杯食わせたい」という言葉だ。今の世界腹一杯食べようと思うと金がいる、金を稼ぐには頭脳がいるというところがあるが、世耕弘一先生は早くにそれに気付いて学校を立ち上げている。根本的なところに目をつけなくてはならないと思った。私は将来、初心を忘れることのない人間になりたいと思う。初心をわすれないということは将来においても学ぶことをやめず、人としての在り方を忘れないということでもあると言える。そんな世耕弘一先生の考え方に感銘を受け、尊敬していることも私が近畿大学の総合社会学部環境・まちづくり専攻を選んだ一つの理由である。

 


第5章 私の将来の夢

 現在、社会では少子高齢化など人口の減少、地域差別、東京一極集中化などの課題が大きく取りざたされており大きな社会問題となっている。

 そこで私がこの人生をかけて取り組んでいきたいことは地方創生である。地方を活性化させるということは日本を活性化させ、より良い社会、都市、街、村の形成に関わり、国民の生活の基盤を支えるということでもある。若い人は東京に集まる。その現実をどうにかしたいという思いが私にはある。

 そこで私は、近畿大学の総合社会学部環境・まちづくり専攻に進学し基礎的や知識を身につけることに専念したいと考えている。フィールドワークなどにも積極的に参加し、実際に地方に足を運びたいとも思う。

 そして私はその経験を生かして、大学を卒業後に地域おこし協力隊に参加したいと思う。「地域おこし協力隊」は、都市地域から過疎地域等に移住し、一定期間、地域に居住して、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこしの支援、農林水産業への従事、住民の生活支援などの「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着を図る取組である。

 地方の問題点として大きくあげられるのは、よそ者を寄せ付けない体制です。外から見たからこその新たな発見があるにもかかわらず、意見を取り入れることができないのは問題だ。よってこういった活動に乗じて2、3年の期間でその地域に馴染むことが私の地方創生の第一歩だと思う。

 そして、その後に自分の力で取り組めることにチャレンジしたいと思う。その形が何であるかはまだ定まってはいないが、教師としてその地域により密着した貢献をするという方法も考えられるし、無い物を生み出す手段としては起業という手もある。地方は今分岐点にある。正の方向に進み出すために必要なことは差別化である。もっとわかりやすく言えばブランド化である。どこでもあるようなただの田舎では人は集まらない。どうにかして、現代人の五感に訴える何かを作りたい。

 私は「夢は一つに絞らないことが大切だ。」というロンドンブーツ1号2号の田村淳さんの講演を聞いたときから選択肢を狭めることはあってはいけないと感じるようになった。だからこそ、若いうちにしか出来ないことを優先的にと考えている。若い力が必要な地方の問題には自分が若いうちに必ず携わり、自分の得た知識やアイデアで一人でも多くの人を助けることで人々の役に立ちたいと考えている。

 

 

 

 

 

おわりに

 

どうでしたかね。みなさん。

ここまでたどり着いた方は少数派かと思います。中には飛ばしてここまできた方もいるかな?

お堅いテンプレートにのっかって書いたものは自分的にはそんなに面白く無いので割愛したかったのですが、話の流れ的に入れたので長くなってしまいましたね。

 

中高生の親御さんが読まれたなら是非お子さんにも見せてあげてください。

自分はこの3年間で何ができて、何が成長して、どこがダメだったのか。

 

この年末にこの論文を読んでそれを考えて欲しかったというのもこの論文を載せた大きな要因の一つです。

親子揃ってたまには反省会でもしてみてはいかがでしょうか。

 

ではまた。