オワリはじまり
「類は友を呼ぶ」という言葉ほど説得味のあることわざはないと思います。つまんない人は結局つまんない人のいるグループに所属してるかと。
普段一緒にいる人の愚痴をすぐに言っちゃう人は自分が頭1つ飛び抜けているかと勘違いしているようですが、周りの人間は「鏡」だと思うんです。あなた、そこで足踏みしてますよ。
周りを見ると、自分がよくわかる。
友達は数より質です。くれぐれも間違いのないようにお願いしたい。
どうも、あわじです。
まだ日本が太平洋戦争をしていた頃舞鶴には軍港があったこともあり、空襲も多かったそうで、それはそれは大変な中を生きていました。
太平洋戦争って僕らからすれば正直歴史の教科書の中のお話で、「こんな事がありました。」
というレベル。今ある平和な日本が普通。当たり前。そんな私にもよくお話ししてくれました。
戦後は親戚の家に住み込みで働きに行っていたそうなのですが、親戚とは思えないほど差別され、毎日一人だけダンボール箱を机にして冷や飯を食べていたとよく話してくれました。
そんな時代を生きた祖父の言葉には重みがあるんです。
金物屋、お菓子屋を経て総菜屋を始めた祖父。
食への感謝は忘れませんでした。
食事中はテレビも消すし、無駄な会話もせず、1つ1つの食材を噛みしめるように味わう姿には幼いながらに感銘を受けました。
祖父から食事に対するこだわりを教わったと思います。
そんな祖父が亡くなってもうすぐ一年になります。
とは言っても生前に認知症を患い、最後にまともに話したのは小学生の頃でしょうか。
深く考えて話せる歳になってから祖父の体験を聞いて見たかったな。でもね、ほんとちょっとの話だけど、これを後につないでいく、紡いでいくのが我々の責務であるように思うんです。
ほんと生きてるって尊いからさ、話せる時に話しとかないとね。いつ別れがくるかなんて、誰もわからないからな
もしかしたら明日、地震が来て、あなたの家族も、いや、あなた自身も、
わからないんだよ。わからないから楽しいのかも。わからないから必死なのかも。
今日で西日本豪雨から1年。
あの直後、昨年の七月末にとあるプロジェクトで広島の大崎上島に上陸してまして、現場を見てみたり、被災者の方の話を聞いたりする中でやっぱり自分で何かしてこういう状況に陥る人を少しでも減らしたいという思いと、何もできないくせにのうのうと生きている自分に腹が立つ思いが交錯しました。
その結果、防災のプロジェクトを起こすということにつながりました。
まずは生きているということに感謝。発生後、すぐにいく機会があった巡り合わせ、きっかけに感謝。災害大国である日本で、安心して生活できる環境の実現に向けて他人事を自分ごとにしつつ、頑張っていきたいです。
じゃあ今日はここまで。また明日。